私の実家の話 ~小林工務店物語②~

朝起きると父は仕事場で働いていて、朝必ず神棚に拝んでいる姿を覚えている。

実家には神棚があり、榊も定期的に変えていた。

私には一回り12歳離れた兄(高校社会科教師)

10歳上の姉(平成元年生まれの甥っ子は35歳管理会社勤務)

6つ上の兄(甥っ子は27歳と25歳、警官とパティシエ)

がおり、今では年を重ねた兄弟も小林家はずーっと昔から宴会が大好きだった。父と母はどちらも新潟出身なのだが、親族が集まると絶対に酒盛りになる。

そんな酒盛りでやんややんや大騒ぎしている中で育ってきたから、まぁ私もお酒が大好きなんだろうと思う。

夜になると父は必ず日本酒を飲んでいた。

画像がありました

これの緑色を父は使っていていつも飲んでいて、カラオケの十八番は大川栄策の「さざんかの宿」

とにかく飲んでいる姿はやたら覚えていて、痴ほうになった最近でも朝から日本酒を飲んでいる。

実家は日本酒を飲みながらチェイサーはビール。

よく行く店は、近所にあったナジミという父が建てたお店(閉店)と、ひらのという飲み屋。

ひらののマスターは元トラック運転手だったらしく、ぶっきらぼうで下町そのまんま、そんな人柄が大好きだったりするのも下町育ちのせいなのか。

ひらのではセロリともつ焼きを必ず2人前づつ頼むのが小林家のルールだった。

そして時間は流れ、父の後は6つ上の兄が小林工務店を継いだ。

兄は高校を卒業して弟子入りし、私も長い休みに入るとお手伝いをするようになるのもこの頃から。

職人の世界(小林家の世界)には特殊な文化があり周りからいつも目を丸くされていたものだ、私にはいたって普通のことだったのだけれど。。

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