私の実家の話 ~小林工務店物語①~
私の実家は東京都の江戸川区、下町といわれるところで職人さんがとても多い町でした。
父は小林工務店という一人親方の大工をしており、顔も千代の富士そっくりで目が鋭い怖い父だった。
今回なぜ自身の話を書こうかと思ったかというと、今年88歳になる父がコロナに罹患し先日まで生死をさまよっていたからだ。
救急車に乗らないと駄々をこねていて(痴ほう)どうなることかと思ったら、何とか生還したと姉(60歳)から連絡を受けた。
備忘録として、残しておきたい気分になったのです。
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①幼いころの私の記憶には、父親と遊んだ記憶が1度しかない。
その1度は何かのスキマ時間に「えいじアスレチック行くか」と声をかけてもらい一緒に行った思い出。
元気だったなぁ。。
綱で繋がれたタイヤを自分のところへ引いてから離して、戻っていくタイヤに負けないように走る。
その時の父がニコニコしながら走っていた顔だけが覚えている。
遊んだ記憶がないのは、父はいつも働いていたからだ。
4人兄弟の末っ子として私は育ててもらってきたが、今我が家で優真を育てていると1人でも大変だと思う。
それが4人だったなんて、家計上もたいへんだったんだろうなぁ。
母は「お父さんは1日4回働いてきた」と言った。
みんなが寝ているときに早起きして仕事場で働いて、昼間働いて、夕方働いて、家に帰ってからも仕事場で働いてきたといつも言っていた。
うちの実家には仕事場と呼ばれる材木置き場が隣接していて、いつもそこに父がいたんだ。
ウォーーーーーーン!!という材木を前から後ろに流す機械を横に、ノミで木を掘りトンカチでカンカン叩く。
仕事場の父はいつも顔は険しい(怒っている)気がして、近寄れなかった。